6月17日敬愛する父が天国に旅立ちました。

父東智は大正11年生まれで、昭和30年から50年まで通算4期、紀伊長島の町長を務め、昭和54年からは社会福祉法人ふらここ保育園の理事長として善き働き人でした。食事時に限らず自分の子供の頃の話や戦時中の話そして町長として苦労した話や出会った友人などの話しを何度も聞かされました。まるで息子である小生も同時期に生きていたかのように思えるほどいろんなことを話してくれました。父との思い出は尽きませんが一つだけ書きます。小生が高校3年生の秋に大学への入学が決まった時(38年前)にその報告がてら実家に帰った時のことです。3日ほど畑の手伝いなどをしたりしてのんびり過ごした後、いよいよ上京の日、山本のバス停から特急バスに乗り込んで間もなく片上池を過ぎた辺りから実家の方を見ていたら、なんと実家の庭先で父母が揃って二人とも大きな手を振って見送っていてくれたのでした。その光景は最後まで見ることができなかったのです。それはこの度の父との別れを知った時と同じように涙を止めることができなかったのです。もうひとつは18年前に父が台湾で脳卒中で倒れた時です。すぐさま渡台した時のことです。台湾での入院生活は丁度2週間に及びましたが、その2週間父のベッドの横に簡易ベッドを用意してもらい一緒に過ごしまたリハビリ治療も兼ねて会話を楽しみました。その時は、キリスト信者としての話がほとんどでした。私にとっては初めての台湾でしかも病院の中がほとんどでしたが、父の台湾の友人があまりに親切でときどき連れ出して台湾料理を堪能したりして退屈することは全くありませんでした。父が愛した台湾と台湾の人たちは小生にとって貴重な遺産となりました。

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